島津義弘コース

島津義弘コース

SHIMAZU YOSHIHIRO

徒歩2時間コース 8.1km

岐阜関ヶ原古戦場記念館

戦国時代最大の戦いである「関ヶ原合戦」を俯瞰するグラウンドビジョン、武将の目線で戦いを体験する大迫力のシアター、古戦場を一望できる展望台などを備えた史跡巡りの拠点。

1km 15分

①決戦地

小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。

1.2km 18分

③島津義弘陣跡

甥の島津豊久らと約1,500の兵を率いて陣を構えます。合戦当日の午前中は防御に徹し、石田三成からの援軍要請も拒否。西軍が総崩れすると東軍の中央を敵中突破し薩摩へ帰還しました。

0.7km 10分

④徳川家康最後陣地

徳川家康は午前11時ごろ、戦況が把握できないため、笹尾山の三成の陣の正面であるこの陣地に、本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したと言われています。合戦後は、ここで首実検が行われました(床几場)。

0.5km 8分

⑤松平定吉・井伊直政陣跡

関ケ原合戦当日は、現在のJR関ヶ原駅付近に布陣しました。東軍の先鋒は、福島正則でしたが、徳川家が先陣を切ることが重要だと考えた井伊直政は、松平忠吉とともに抜け駆けし、宇喜多隊に発砲し、合戦の火ぶたが切られました。

0.7km 10分

⑥本多忠勝陣跡

徳川四天王の1人に名を連ねる本多忠勝。合戦当日の午後には、松平・井伊隊とともに島津義弘を追撃しました。

1.5km 25分

⑦鳥頭坂・島津豊久碑

島津義弘を逃がすため、敵中突破で先鋒を務めていた島津豊久が烏頭坂辺りで殿(しんがり)となり、追撃する東軍の松平忠吉、井伊直政らと奮戦し、乱戦の中で討死したとも言われています。

2.5km 35分

岐阜関ヶ原古戦場記念館

戦国時代最大の戦いである「関ヶ原合戦」を俯瞰するグラウンドビジョン、武将の目線で戦いを体験する大迫力のシアター、古戦場を一望できる展望台などを備えた史跡巡りの拠点。