徳川家康コース

徳川家康コース

TOKUGAWA IEYASU

徒歩1時間54分コース 7.8km

岐阜関ヶ原古戦場記念館

戦国時代最大の戦いである「関ヶ原合戦」を俯瞰するグラウンドビジョン、武将の目線で戦いを体験する大迫力のシアター、古戦場を一望できる展望台などを備えた史跡巡りの拠点。

0.3km 5分

①松平忠吉・井伊直政陣跡

関ケ原合戦当日は、現在のJR関ヶ原駅付近に布陣しました。東軍の先鋒は福島正則でしたが、徳川家が先陣を切ることが重要だと考えた井伊直政は、松平忠吉とともに抜け駆けし、宇喜多隊に発砲し、合戦の火ぶたが切られました。

0.1km 1分

②東首塚

戦いの翌日、勝者となった徳川家康は、戦いで破壊された神社の修復や、首実検に供されたり、戦場に残された戦死者の処理を竹中重門に命じました。重門は、遺体を埋葬し、東西2か所に首塚を造営しました。朱色の門を抜けた敷地内にはスダジイの古木のみが残っています。

0.8km 12分

③本多忠勝陣跡

徳川四天王の1人に名を連ねる本多忠勝。合戦当日の午後には、松平・井伊隊とともに島津義弘を追撃しました。

1.7km 25分

④徳川家康最初陣地

徳川家康は、慶長5(1600)年9月14日に岡山(大垣市)へ着陣。9月15日午前6時ごろには、桃配山に布陣しました。その後、戦況を把握し、好転させるべく、ここから前進し、前線近くで東軍を鼓舞しました。

3.5km 50分

⑤決戦地

小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。

0.3km 5分

⑥石田三成陣跡

関ケ原の地を一望でき、北国街道も押さえられる山頂に布陣した石田三成。麓に陣を置いた島左近らの隊が善戦しますが、次第に押し込まれ、小早川秀秋の東軍寝返りを機に、西軍は次々に敗走しました。三成も伊吹山方面へ逃れました。

1km 15分

⑦徳川家康最後陣地

徳川家康は午前11時ごろ、戦況が把握できないため、笹尾山の三成の陣の正面であるこの陣地に、本陣を移しました。一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したと言われています。合戦後は、ここで首実検が行われました(床几場)。

0.1km 1分

岐阜関ヶ原古戦場記念館

戦国時代最大の戦いである「関ヶ原合戦」を俯瞰するグラウンドビジョン、武将の目線で戦いを体験する大迫力のシアター、古戦場を一望できる展望台などを備えた史跡巡りの拠点。